ウェブ御後絵 (おごえ、 沖縄語 :うぐい)は、 琉球国王 の 肖像画 。 起源は不明だが、15世紀から19世紀頃に、琉球独特の様式をつくりあげた [1] 。 概説. 死後に描かれ、 円覚寺 ( 那覇市 )に納められた。 絵は彩色で、形式は定型化しており、国王を中心に重臣・従者が配置される。 国王の姿はひときわ大きく描かれ、その権威と偉大さを強調して …
ウェブ2024年5月1日 · 琉球国王の遺影“御後絵” 今回、見つかった 「御後絵(おごえ)」 は琉球王国時代に描かれた歴代の国王の肖像画です。 王を偲ぶ遺影として、琉球王府の絵師が当時の最高の技法を駆使して描いたと伝えられます。 絵の中心には儀式で使う豪奢な服を身にまとった王がひときわ大きく描かれ、その周囲を家臣が取り囲み、龍があし …
ウェブこれらは「御後絵(おごえ)」とよばれ、歴代琉球国王が崩御された際に描かれた肖像画です。 現在は首里城公園の中で展示されている御後絵ですが、実は城内にあったわけではなく、首里城の北側にある円覚寺(えんかくじ)というお寺にありました。 円覚寺は、1494年に第二尚氏王統歴代国王の菩提寺として建立され、国家行事として祭祀等 …
ウェブ2024年5月8日 · 戦後初めて現存が確認された、琉球王国の王の肖像画「御後絵」。 4月、2点の実物が公開されました。 1点は県が四代尚清王とみているものです。 もう1点は何らかの理由で3分割されています。 描かれているのが誰なのかは分かっていません。 写真で公開されたほかの2点は、十三代尚敬王と十八代尚育王とみられています。 79 …
ウェブ2024年4月30日 · 琉球王国時代に描かれた歴代の王の肖像画は、「御後絵」と呼ばれ、王を偲ぶ遺影として琉球王府の絵師が当時の最高の技法を駆使して描いたと伝えられます。 王は中央にひときわ大きく描かれ、その周囲を家臣らが囲む構図で、王の威光が強調されています。 装束などには龍があしらわれ、描かれ方や構図には当時、関係が深かっ …
ウェブ2017年7月8日 · 歴代琉球王の肖像画である「御後絵(おごえ)」に筆者が関心を抱いたのは、江戸後期に描かれたアイヌ指導者たちの肖像画である《夷酋列像(いしゅうれつぞう)》についての調査研究を続けるうちに、同じ東アジアの肖像画に見られる共通点と相違点を明らかにしたいと考えたことによる。 《夷酋列像》は、一七八九(寛政元) …
ウェブ2024/03/16 15:00. スクラップ. 第13代尚敬王の御後絵とみられる絵画=沖縄県提供. 沖縄県は15日、太平洋戦争末期の沖縄戦に伴う混乱の中で行方不明となっていた文化財22点が米国で見つかり、およそ80年ぶりに県の元へ戻ったと発表した。 現存しないと考えられていた琉球国王の肖像画「 御後絵 おごえ...
ウェブ2024年3月26日 · 御後絵は琉球文化研究者の鎌倉芳太郎が1925年に撮影したモノクロ写真が残されていたが、今回初めて実際の色彩が判明した。 戦前に実物を確認した故真栄平房敬氏の証言で約20枚あったことが分かっている。 絵は国王の死去から間もなく、その時代に最も優れた絵師が死に顔を描き絵画を仕上げるという琉球独自の文化と言わ …
ウェブ御後絵(おごえ、沖縄語:うぐい)は、琉球国王の肖像画。 起源は不明だが、15世紀から19世紀頃に、琉球独特の様式をつくりあげた。
ウェブ巻頭口絵として、東京文化財研究所と沖縄県立芸大の共同研究によりデジタル化された、御後絵の画像を掲載。 従来の紙焼き写真よりも、より鮮明に、細部までご覧いただけます。 目次. 序 章. 第1節 研究動向. 第2節 本論文の課題. 第3節 論文の構成.