『吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・編 … See more
外部リンク. 吾妻鏡. 『吾妻鏡』(吉川本)右田弘詮の序文. 『 吾妻鏡 』または『 東鑑 』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、 鎌倉時代 に成立した日本の 歴史書 。. 鎌倉幕府 の初代 将軍 ・ 源頼朝 から第6代将軍・ 宗尊親王 まで6代の将軍記と ... See more
『吾妻鏡』は、治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの87年間を描く。その記述は治承4年(1180年)4月、以仁王の令旨が伊豆の北条館に届くところから始まり、文永3年(1266年)7月20日に第6代将軍・… See more
江戸時代の吾妻鏡研究で有名なのは林羅山(道春)であり、徳川家康の為に『東鏡綱要』上下2冊を作成した。また黒田藩の家臣に書き与えた「東鑑考」は漢文325字の短文ながら的を射た解説を行っている。この時代に … See more
明治時代の歴史学者星野恒は、『吾妻鏡』の記述のほとんどを日記(即時の記録)と解し、原勝郎はその説に異を唱えた。しかし、原も後半は日記だろうと推定したが、この両者の見解に対して和田英松は、1912年( … See more
『吾妻鏡』を読むとき、それが「日記」形式、つまりあたかも現在進行形のように書かれていることも手伝って、ついそれが真実と思ってしまうか、あるいは「曲筆」と断定しても、編纂者は実は全てを知っていて、政治 … See more
『吾妻鏡』に北条得宗家の顕彰、そしてその為の曲筆が非常に多いことは古くから指摘されており、例えば江戸時代後期の国学者大塚嘉樹(よしき)は『東鑑別注』 において、文治2年(1186年)4月8日条の静御前に鶴岡 … See more
吾妻鏡の原資料の全体像について際だった研究を行ったのは、大正時代の八代国治と最近では五味文彦である。五味文彦は『吾妻鏡』の原史料として3つの類型「幕府事務官僚の日記・筆録」「後に提出された文書」「幕 … See more
WEB『吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。 鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの幕府の事績を編年体で記す。 成立時期は鎌倉時代末期の正安2年(1300年)頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見 …
WEBMar 18, 2024 · 概要. 『吾妻鏡』は、 治承 4年( 1180年 )から 文永 3年( 1266年 )までの87年間を描く。. その記述は治承4年(1180年)4月、 以仁王 の 令旨 が 伊豆 の北条館に届くところから始まり、文永3年(1266年)7月20日に第6代将軍・ 宗尊親王 が 京都 に到 …
WEB百科事典マイペディア 「吾妻鏡」の意味・わかりやすい解説. 吾妻鏡【あづまかがみ】 東鑑とも書く。 鎌倉幕府 の事跡を記した史書。 巻数 未詳。 後世 52巻と誤伝。 1180年源頼政挙兵から1266年6代将軍宗尊 (むねたか)親王帰京までを和風変体漢文により編年に記す。 前半は13世紀後期,後半は14世紀初めごろ幕府の家臣が編集したものとみられる。 中 …
WEB『吾妻鏡』は戦国時代の武将たちに愛読され、江戸に幕府を開いた徳川家康も、愛読して武士の道理や治世の術を学びました。 展示資料は、天正18年(1590)の小田原攻めのとき、和議成立の謝礼として北条氏から黒田孝高(如水)に贈られ、慶長9年(1604)に孝高の子の長政から徳川秀忠に献上された、「北条本」と呼ばれる『吾妻鏡』の古写本です …
WEB原本テキストデータベース(底本は国文学研究資料館所蔵の寛永3年版本)
WEB52巻(巻45原欠) 旧蔵者. 紅葉山文庫. 関連事項. 来歴志著録本。 金澤文庫本を文亀・永正頃(1501-1521)に書写した小田原北条氏の旧蔵本。 豊臣秀吉の小田原攻めの和議の礼に黒田如水におくられ、慶長9年 (1604)黒田長政から二代将軍秀忠に献上された。 慶長10年家康はこの本を用いて伏見版「吾妻鏡」を刊行した。 本書は現存最古の「吾妻鏡」で …