WEB世阿弥が佐渡に流されてから移り住んだとされる「長谷寺」などの寺院や、世阿弥が心静かに佐渡の情景を描写した「金島書」で触れられている「紅葉山」など、世阿弥ゆかりの地を車で巡ります。
WEB失意の中、世阿弥も1434年に佐渡国に流刑される。 1436年 ( 永享 8年)には『金島書』を著す。 後に帰洛したとも伝えられるが、幼少時に参学した補巌寺に帰依し、世阿弥夫妻は至翁禅門・寿椿禅尼と呼ばれ、田地各一段を寄進したことが能帳に残っ ...
WEB世阿弥. 室町幕府の3代将軍足利義満の寵愛を受け、能楽を大成させた世阿弥は、6代将軍足利義教の怒りにふれ、1434年に佐渡に流されました。 佐渡の多田に着いた世阿弥は、長谷寺を経て新保の万福寺に配所されましたが、近くで合戦が起きたため、泉の正法寺に移されました。 在島中に世阿弥が著した小謡集「金島書」に書かれている元号から、1436 …
WEBAug 21, 2019 · それは、能の大成者である世阿弥が佐渡に流されてきた史実と無縁ではないといわれています。 佐渡は、奈良、平安時代から遠流(おんる)の島と定められ、罪人のなかでも特に思想犯が送られてきました。 承久の乱(1221年)で敗れた後鳥羽天皇の息子である順徳天皇、鎌倉幕府を批判した日蓮宗の開祖・日蓮聖人、将軍・足利義教の …
WEB世阿弥は佐渡に能を伝えたか. 永享6(1434)年5月、世阿弥(観世元清)が、将軍足利義教によって佐渡に流罪になりました。 世阿弥は佐渡への道中や配所の様子を書いた謡曲州『金島書』を残していますが、その成立は永享8(1436)年2月です。 世阿弥がなぜ遠島になったのか、何年ほど佐渡にいたかなど正確にはわかっていません。 『金島書』には …
WEBApr 23, 2024 · 佐渡は能の大成者・世阿弥が流された地として知られていますが、実際にここまでの広がりを見せたのは江戸時代初期から。 金銀の資源に恵まれた佐渡は幕府の天領(直轄地)となり、1604年(慶長9年)、初代佐渡奉行として派遣された大久保長安(おおくぼ ながやす/ちょうあん)が能楽師の常太夫(つねだゆう)と杢太夫(もくだゆ …
WEBJul 30, 2019 · さらなる迫害・佐渡への配流. 父・観阿弥と歩んだ華々しい時代. 世阿弥の出世年には諸説あるものの、概ね1360年頃と推測されている。 1358年には 足利尊氏 が没しており、 足利義満 の治世へ移り変わろうとしていた頃だ。 世阿弥の父・ 観阿弥 は、大和猿楽で名を馳せ、結崎座(現在の観世流)を率いていた。 この優れた父の下で鍛錬し …
WEB佐渡に流された世阿弥が『金島書(きんとうしょ)』の中で、その美しさを詠んだことで有名です。ここを起点として、島中央の国中エリアに点在する紅葉が美しい寺社を巡りながら、佐渡の歴史ロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょう。
WEB現在の佐渡島には世阿弥の足どりを知る史跡こそありませんが、世阿弥が着けたとされる「雨乞いの面」などの伝説が受け継がれており、明治時代以降に建てられた30以上の能舞台が残る「能の里」として知られています。 神事面べしみ「雨乞いの面」(新潟県・正法寺所蔵) 能鑑賞に役立つ知識と能を大成した世阿弥の芸術を紹介。