WEB平安時代末期には後白河法皇が愛好し、熱中し過ぎて喉を痛めたことが史書の記録に残されている。また、法皇が編纂した『梁塵秘抄』の一部が現代に伝わっている。
WEB2023年9月30日. 平安時代末期の抜群におもしろい天皇に後白河天皇 (1127-1192、天皇退位後は上皇、出家後は法皇、以下法皇の呼び方でまとめさせていただきます)がいます。 何がおもしろいかというと、当時の庶民の間で流行した歌謡曲「今様 (いまよう)」に若いころからはまってしまって、周囲から今様狂いとばかにされながらも、当時の白拍子、 …
WEB後白河法皇は少年のときより、今様と呼ばれる歌謡を好んだ。歌の上手を召して多くの歌謡を知ったが、死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にした。また、歌謡の歴史などについて、別に口伝集十巻を残した。
WEBJul 24, 2021 · 後白河法皇(天皇)の今様へのハマり方は常軌を逸脱していたようで、 貴族たちの評価は地に落ちてしまいます。 しかし、後白河法皇は本人が意図せぬままジワリジワリと政治の世界へと引き込まれてしまいます。
WEBFeb 14, 2022 · 後白河法皇の歌謡集『梁塵秘抄』. 「 今様 いまよう 」という平安時代の流行歌のジャンルを知ってますか?. 言葉の直接の意味は、「今風」「現代風」。. 策謀家として知られる 後白河法皇 も、. 平安中期に誕生したという「最新」の今様に ...
WEB今の後白河法皇は処分に関する限り遙かに鳥羽法皇より勝れている。人の賢愚など、簡単に評価できないものだ」とし、その死去にあたっては「法皇は度量が広く慈悲深い人柄であられた。仏教に帰依された様子は、そのために国を滅ぼし
WEB挙げ句の果てに辿り着いたのが、 後白河法皇(1127-1192) の今様への圧倒的な傾倒で、彼はついに今様のアンソロジーである 『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』 を、自ら編纂することとなった。
WEB後白河法皇の登場. 『梁塵秘抄』の世界. 今様の第一人者としての後白河法皇. 今様の伝え手─遊女・傀儡女・白拍子. 歩く・見る. 法住寺殿跡 東山区三十三間堂廻町. 祇王祇女仏刀自旧跡. ※画像をクリックすると大きい画像が表れます. 知る. 今様とは今日風・現代風の意味ですが,歴史的には,平安時代中期から鎌倉時代にかけて,宮廷で流行した歌謡のこと …
WEB12世紀末ころ成立。20巻。現存は2巻ほどで約570首ある。撰者は後白河法皇。当時流行した今様 (いまよう) ・催馬楽 (さいばら) などの歌謡を分類集成した。当時の信仰・風俗・生活感情を知る好史料。
WEB院政期に盛行し,なかでも後白河上皇は青年時代から愛好し,1174年(承安4)には15夜にわたって今様合(あわせ)を行い,また「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」を撰した。ほかに藤原敦家・源資賢(すけかた)らの今様の名手が現れ,それぞれの