WEBMar 8, 2023 · 交通. 【電車】 ・JR「加茂」駅 【バス】 ・コミュニティバス「恭仁宮跡」バス停. 奈良時代中期、聖武天皇(しょうむてんのう)によって遷都されたかつての都跡。. 大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)とも呼ばれる。. 歴史・概略 恭仁京 ...
WEB恭仁京(くにきょう/くにのみやこ)は、奈良時代の都城の1つ。 山背国 相楽郡 (現在の 京都府 木津川市 加茂地区 )に位置する。 正式名称は「大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)」。
WEBJul 9, 2019 · 幻の都・恭仁京. 奈良の平城京に都があった天平12年(740)10月、聖武天皇は伊賀や伊勢、美濃、近江などへ行幸し、同年の12月に木津川岸辺の瓶原(みかのはら)の恭仁宮で遷都を宣言し、恭仁京が誕生しました。 平城京から大極殿や朝堂院を移築し、都が整備されましたが、天平16年には難波宮(なにわのみや)へ遷都。 さらに翌年 …
WEB2023.01.16. 奈良時代最大のミステリー? 未完の都「恭仁京」の謎に迫る. 京都府木津川市加茂町。 かつて瓶原(みかのはら)と呼ばれた地域に、山城国分寺という奈良時代の寺院跡があります。 建物こそありませんが、残された立派な礎石が、国内随一の金堂と七重塔を持つ壮大な寺院だったことを物語ってくれます。 実は約1300年前、この地に都が …
WEB恭仁京. くにきょう. 奈良時代中ごろの都城。 現在の京都府南部の木津川市に営まれた。 740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。 翌年11月21日の勅によって宣された正式名称は大養徳恭仁大宮(やまと …
WEB観光スポット. 史跡恭仁宮跡(山城国分寺跡) 国の史跡に指定. <聖武天皇の宮跡>. 天平12年 (740)に平城京から遷都された恭仁京。 造営途中の天平16年 (744)に恭仁京が廃都後、大極殿は山城国分寺の金堂として使用され、あわせて七重塔など伽藍が整備された。 そのため全国でも稀な二つの重要遺跡が複合することになり、現在、大極殿跡に当時の礎 …
WEBDec 25, 2022 · 現在、恭仁京の範囲のうち、最も重要な「宮」の範囲が国の史跡として指定されています。 恭仁宮のココがスゴイ! 〇都としての理想のカタチ. 三方を山に囲まれ、南に川がながれているという、当時の都を置く上で理想の地だったと考えられています。 のちに万葉集を編纂したことで著名な大伴家持も、若手官人として恭仁宮におり、 …
WEB恭仁京 (くにきょう/くにのみやこ)は、 奈良時代 の 都城 の1つ。 山背国 相楽郡 (現在の 京都府 木津川市 加茂地区 )に位置する。 正式名称は「大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)」。 宮跡は 山城国分寺跡 と重複し、合わせて国の 史跡 に指定されている(指定名称は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」)。 恭仁宮 大極殿跡( 山城国分寺 金堂 …
WEB小さな丘に囲まれた、瓶原の盆地にかつての日本の都「恭仁京」の宮跡があります。 現在は、木津川の北に位置した田園地帯の中にあり、広く一面に野草が生い茂っており、公園のように市民の憩いの場となっています。 しかし、注意深く見ると、あちらこちらに礎石を見つけることができます。 これは、恭仁京の遺跡です。 現在、ここは地域の人々 …
WEB恭仁京(くにきょう)は、奈良時代の一時期、都が置かれた. 天平12年(740年)12月15日 聖武天皇によって、平城京から遷都された。 この都は、長い間幻の都といわれていたが、発掘調査の結果、 平城京の3分の1の規模の宮城が完成していたことがわかった。 天平13年(741年)2月24日「国分寺・国分尼寺建立の詔」が発布された。 聖武天皇は、紫香 …