ウェブ2019年2月26日 · 建礼門院右京大夫 和歌「月をこそ」. 原文. 十二月一日頃なりしやらん、夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、村雲騒がしく、ひとえに曇り果てぬものから、むらむら星うち消えしたり。. 引き被き臥したる衣を、更けぬるほど、丑二つばかり ...
ウェブ建久年間の後半 (1190-99)頃、 後鳥羽天皇 の宮廷に再出仕する。. 建仁三年 (1203)、藤原俊成の九十賀では、後鳥羽院からの贈物の法衣の袈裟に、 宮内卿 の歌を刺繍するなどした。. その後、七条院(後鳥羽天皇の生母藤原殖子)にも仕えたようで、定家の日記 ...
ウェブ建礼門院右京大夫集 現代語訳. 251 月をこそ. 十二月一日頃であったろうか、夜に入って、雨とも雪ともなく散ってきて、群雲の行き来がさわがしく、すっかり曇ってしまいもしないで、星が消えたり光ったりする。 引きかぶって臥していた衣を、夜の更けた頃、丑二(午前1時30分〜2時)頃かと思うときに、引きのけて、空を見上げたところ、特 …
ウェブ2015年12月9日 · 106・月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる. ある。. は源平の戦いで戦死にあう。. その翌年に詠んだ. 歌です。. 夜空を見上げると、薄青色に晴れて大. きな星がきらきらと一面に輝いていた。. まるで. があります。.
ウェブ2023年2月10日 · 月をこそながめなれしか星の夜の深きあはれをこよひ知りぬる. 建礼門院右京大夫集 251. 現代語訳. 十二月一日ごろだったろうか、夜に入って、雨とも雪ともつかぬものが散らついて、群がり立つ雲が忙しなく流れ、すっかり曇り切ってしまわぬわけではないけれど、まばらな星が見え隠れしていた。 引き被って横になっていた夜着 …
ウェブ2012年12月22日 · 月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる. 平家物語 Year(? )となった2012年の終盤に「大原御幸」( 喜多流 では小原御幸)を観ることになったので、手にしたのがこの本。 著者・ 建礼門院 右京大夫 は20代の頃平家の全盛期の 建礼門院 に仕え、平家滅亡後は 後鳥羽上皇 とその生母・七条院に仕えた …
ウェブ2019年6月17日 · 「月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる」 《今まで月ばかりを眺め慣れてきたけれど、星の夜の深い情趣に今夜はじめて気がついた》
ウェブ2021年7月7日 · 在原業平の七夕伝説に題材をとった歌。. この歌には、「これたかのみこのともにかりにまかりける時に、あまの川といふ所の川のほとりにおりゐて酒などのみけるついでに、みこのいひけらく、かりして天の河原にいたるといふ心をよみて盃はさせ ...
ウェブ現代語訳. 比叡坂本での一こま。 風がない時には音もしないのに、風が吹くとそれにつれて鳴子、引板が鳴り始める。 弱い風の時にはそっと、強い風の時には盛大に鳴りわたる。 それが鳴子本来の音なのだろう。 聞いていると何故か悲しくなってくる。 ありし世に あらず鳴子の 音聞けば 過ぎにしことぞ いとぞかなしき. 鳴子の音は風次第で様々に …
ウェブ星の夜の深きあはれを今宵知りぬる . 月をこそ眺め慣れしか. 星の夜の深きあはれを今宵知りぬる. これは、「星夜賛美の女性歌人」として顕彰されている『建礼門院右京太夫(平清盛の娘で高倉天皇の皇后(中宮)となった建礼門院に仕えたことがある歌人)』が詠った和歌である。 この和歌を詠んだ背景を、右京太夫は 「十二月朔日頃なりしやらむ、夜 …