網頁恭仁京(くにきょう/くにのみやこ)は、奈良時代の都城の1つ。 山背国 相楽郡 (現在の 京都府 木津川市 加茂地区 )に位置する。 正式名称は「大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)」。
網頁恭仁宮跡は、京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域にあります 2月2日(金)から京都府立図書館で「恭仁宮跡発掘調査50周年記念展示」を開催! 2月10日(土)講演会「天平の都・恭仁宮と南山城の古代寺院」※京都府立図書館にて申込 …
網頁2023年1月16日 · 未完の都「恭仁京」の謎に迫る. 京都府木津川市加茂町。. かつて瓶原(みかのはら)と呼ばれた地域に、山城国分寺という奈良時代の寺院跡があります。. 建物こそありませんが、残された立派な礎石が、国内随一の金堂と七重塔を持つ壮大な寺院だった ...
網頁2019年7月9日 · 天平の都 恭仁京(くにきょう)跡を訪ねる. 京都府の南部、奈良県との府県境に位置する木津川市には、今からおよそ1300年前に都がありました。. 謎のベールに包まれた都の跡を訪ね、往時の姿に思いをはせてみましょう。.
網頁2022年12月25日 · 1 恭仁への遷都. 京都は千年の都と言われますが、長岡京(784年)や平安京(794年)よりも前に、奈良時代の都がおかれた時期があったことをご存じでしょうか。. 今から約1,300年の昔、天平12年(740年)12月に、聖武天皇は平城京から現在の木津川 …
網頁デジタル大辞泉 - 恭仁京の用語解説 - 京都府木津川市加茂町例幣れいへいにあった聖武天皇の都。天平12年(740)奈良からこの地に遷都。未完成のまま4年後に難波なにわに移った。大養徳恭仁大宮おおやまとくにのおおみや。くにの
網頁くにきょう‐し[くにキャウ‥]【恭仁京址】 日本国語大辞典 京都府相楽郡加茂町にある、聖武天皇天平一二年(七四〇)一二月から同一六年二月までの都址。
網頁恭仁京 (くにきょう/くにのみやこ)は、 奈良時代 の 都城 の1つ。. 山背国 相楽郡 (現在の 京都府 木津川市 加茂地区 )に位置する。. 正式名称は「大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)」。. 宮跡は 山城国分寺跡 と重複し、合わせて国の 史跡 に ...
網頁2023年3月8日 · 歴史・概略. 恭仁京 (くにきょう) は、 天平12年(740年)から天平16年(744年) にかけて営まれた都。. 現在の京都府木津川市付近にあたる。. 天平12年(740年)、 確かな理由は分かっていないが、飢饉や地震、疫病など世情不安が続く中、 平城京 を …
網頁740年、聖武天皇は平城宮を離れ、恭仁宮(京都府木津川市)に遷都しました。しかし、恭仁京の完成を待たず744年には難波宮(大阪市)、翌745年には紫香楽宮(滋賀県甲賀市)に都を移しました。有名な大仏建立の詔は