ウェブ2024年1月14日 · そのため右京大夫は『建礼門院右京大夫集』を完成させるために、あえて自分の詠んだ歌を推敲して詠み直したのでしょう。資盛と隆信、2人の男性の間で心迷う右京大夫は苦しみました。そういう自分を客観的に眺める場面があります。153.
ウェブ2023年11月14日 · 俊成九十祝賀の贈答に(1)建礼門院右京大夫集から. 1.長寿を祝う. 釈文:「建仁三年の年、霜月の二十日余りいくかの日やラム、五条の三位入道俊成、九十に満つと聞かせおはしまして、院より賀賜はするに」. 選字は「建仁三年の年霜月乃二十日 …
ウェブ2024年2月25日 · 右京大夫の目に映った建礼門院の庵も、まさにこのようなものだったでしょう。建礼門院は、かつて宮中で華やかな日々を過ごしました。高倉天皇が太陽で、建礼門院が月に例えられていましたね。作者は宮仕えをして、その素晴らしさを実際
ウェブ2024年4月23日 · 建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ。生没年未詳)は平安末期~鎌倉初期の女流歌人。 平清盛の二女、高倉天皇の中宮、建礼門院に仕え、平家没落後は仏門に帰依しました。 平重盛の次男、平資盛(すけもり )に ...
ウェブ2024年3月31日 · さて、『建礼門院右京大夫集』はこの後跋文、あとがきを残すのみです。このあとがきは、『建礼門院右京大夫集』を読み始めた回にすでに読みました。俊成九十の賀が催されたのは建仁3年、西暦 1203 年でした。それから10 年後に
ウェブ2024年3月10日 · 右京大夫は平資盛を襲った歴史悲劇を胸に秘めて生きています。『建礼門院右京大夫集』はこれからしばらく死をみつめた和歌を何首も書き記します。死を生きる、あるいは死と共に生きるのが彼女の人生となったのでし ...
ウェブ2023年12月5日 · 新訳建礼門院右京大夫集. 著者 建礼門院右京大夫 (著), 島内 景二 (訳著). 平家の全盛期、宮廷に仕える女房が目にした華やかな生活と没落、そして、壇ノ浦に果てた平家公達との切ない恋と別れをつづった和歌集「建礼門院右京大夫集」を新訳。. …
ウェブ2024年1月7日 · 古典講読「日記文学をよむ」(40)『建礼門院右京大夫集』第7回「建礼門院への宮仕えを辞す」、2024年1月6日放送のメモです。今回は、作者が建礼門院への宮仕えをやめた直後の思い出を読み進めます。短いエピソードがたくさん書かれています。短編小説というか、短いエッセイ
ウェブ2023年10月29日 · 参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社 1.平通宗とは後鳥羽帝付き女房として、建礼門院右京大夫が再び、宮仕えの身となったが、そこではこれまで多くの経験を積み、巧みな作者の持ち味が発揮される。