ウェブ2019年8月5日 · 1. はじめに. 軍記物語の研究として、この二十年で大きく変わったのは、その絵画化された作品群の研究であろう。 例えば、絵画化した作品として絵本や絵巻が存在するが、それらの研究は、二十年前まではほとんど行われていなかった。 理由は、絵の入った作品の制作は江戸時代以降と新しいので、その本文の研究の対象になら …
ウェブ2019年8月5日 · 軍記物語の絵画化. 石川透さんが花鳥社のサイトに、「軍記物語とその絵画化」というコラムを書いています( https://kachosha.com/ ) 。 この半世紀の間に、軍記物語の絵画資料がよく知られるようになりました。 私も以前は近世の絵画だから、と見向きもしなかったのですが、編集者の問い合わせや、奈良絵本 源平盛衰記 が市 …
ウェブ軍記物語研究の新たな動向として絵画をめぐる研究がある。 特にるが、寛永版『保元』を中心として試みる。 中世成立の作品が近世は近世前期の版本の挿絵制作の状況とその表現の性格について考え挿絵の表現そのものについては本格的に論じられていない。 本稿でされた表現で面白みがないゆえか、書誌的な面での言及はあってもけであるが …
ウェブEriko Yanagisawa. 論文題名 「合戦絵研究―軍記物語の絵画化―」 内容の要旨 本論文において「合戦絵」とは、合戦を主題とした絵画を指す。 現存作例では「前九年合戦絵巻」「後三年合戦絵巻」といった中世合戦絵巻をはじめとして、「保元平治合戦図屏風」「一の谷・屋島合戦図屏風」などの軍記物語をベースにした近世合戦図屏風、「関ケ …
ウェブメトロポリタン美術館蔵「保元平治合戦図屏風」(図1)(以下,メトロポリタン本とする.)は,保元の乱,平治の乱をそれぞれ題材とした軍記物語である『保元物語』『平治物語』を絵画化し,六曲一双屏風に描いたものである.保元の乱は保元元年(一一五六)七月,平治の乱は平治元年(一一五九)十二月,ともに平安末期の京における内乱である.宮廷内の権力争 …
ウェブ2022年7月24日 · 平家物語 本文とその絵画化との間には、引用関係とは違う距離感があるし、絵巻物と屏風では画面上の視線誘導にも相違があるでしょう。 ②は、95本にも及ぶ「 三河 記」と呼ばれる写本を片端から調査して、その中74本の内容を把握、分類した驚異的な労作。 三河物語 を研究したかったが、まずは似た書名の膨大な写本群の整理 …
ウェブ本論文は、日本の中・近世合戦図を大きく俯瞰しつつ、軍記物語の絵画化という視点から、近世合戦図屏風における図様の形成と展開・継承を跡づけ論究した労作である。 合戦絵は、合戦を主題とした絵画の総称であるが、従来、「前九年合戦絵巻」「後三年合戦絵巻」「竹崎季長絵詞(蒙古襲来絵詞)」など十三、四世紀の合戦絵巻、あるいは、「 …
ウェブ史料や現存作例から判明する最初期の合戦図は、『保元物語』や『平家物語』などの軍記物語を基に製作された合戦絵巻であり、武士の戦を描く絵画であるが、おもに皇族や公家、寺院といった上流文化のなかで享受されていました。 やがて、武士の政権・鎌倉幕府が成立すると、武士の規範とすべき理想像が投影された軍記物語・合戦絵巻は武士 …
ウェブ日本古典文学のジャンル名の一つ。 「軍記」の用語は江戸初期にさかのぼるが、「軍記物語」は明治以後の用語。 古くは「合戦状」などとよばれた。 その 名称 が示すように、戦闘を中軸として、激しく動く時代、社会の変化を動乱の進行と並行して、もしくは乱後まもなく記録した作品。 作者の体験や見聞、伝承を素材として、全体をいわゆる …
ウェブ同時代史料や当事者の軍功覚書(後年のものも含む)、家譜などをもとに17世紀中頃に軍記物語が成立し、18世紀以降の軍記物語はそれを娯楽化して史実からは離れていく。合戦図屏風も17世紀中頃までに成立したものは史実の絵画化を