ウェブ宗牧が次の行き先である桑名への旅を急いだため、同日、下浦兵部少輔とその息子の彦次郎は、湊の側の小庵で宗牧と餞別の宴を開いて見送った [4] [9]。宗牧を賊から護るため、舟には下浦一族(楠木一族)の左馬允とその部下の武士
ウェブ2020年7月27日 · 京都の金森氏菩提寺(大徳寺の塔頭龍源院)龍源院大徳寺の塔頭(たっちゅう)の一つで、大徳寺南派の本庵である。文亀2年(1502)に大徳寺第72世住職・東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登(現在の石川県)の領主・畠(はたけ)山(やま)義元(よしもと)が豊(ぶん)後(ご)(現在の大分県)の ...
ウェブ目次. むすび 四、連歌文学の解胎三、無心連歌の存在二、自然観一、宗牧仙はじめに. 連歌文学の崩壊過程. l有心連歌を中心としてI. たが、この時代でその発展をとどめてしまった。. この巾広い文学的エネルギー、それはそのままひろがると見え もちろん ...
ウェブ2023年10月10日 · 連歌師宗牧・宗養作品年譜稿 連歌師宗牧・宗養作品年譜稿 国立国会図書館請求記号 Z22-627 国立国会図書館書誌ID 2884991 資料種別 記事 著者 斎藤 義光 出版者 東京 : 大妻女子大学 出版年 1988-03 資料形態 紙 掲載誌名 ...
ウェブ2020年3月1日 · 天文十三年(一五四四) 、宗牧は『東国紀行』の白河の関一 三河に勢力を持つ松平氏がともに支配する西郡の千句であ鵜殿氏と松平氏の千句連歌に出座した。紀伊国出身の鵜殿氏と見の旅に出た。途中、 三河の西郡(愛知県蒲 る
ウェブ初冬時雨 宗牧 26 けふつひに秋の時雨のあらましをそらごとにせぬ冬は来にけり 田鹿 細川玄旨 27 さすがまた小田もる 賤 (しづ) も鹿の音の遠ざかるをばしたひてや聞く 行路時雨 沙門心前 28 かへりみるあと の山風ふきしよりやがて ...
ウェブ開山・東渓宗牧が師である実伝から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から命名 開祖堂 開祖・東渓禅師の塔所 一重入母屋造・檜皮葺きで、昭和の建物だが南北朝・鎌倉・室町初期時代の禅宗様の粋を ...
ウェブ2016年6月28日 · 宗牧が義元に会った直後に直親の父直満と弟直義が駿府に呼び出され、謀反の疑いで切腹させられているのです。 義元に会った宗牧は何事かを「そと申し入れて、やがて退出」したと言います。 宗牧は井伊谷滞在中に何か聞いて ...
ウェブ龍源院(りょうげんいん)(RyougenIn). 所在地: 京都市 北区紫野大徳寺町 地図情報. 臨済宗 大徳寺派の大本山 大徳寺 の 塔頭. 本尊: 釈迦如来. 開基:畠山義元、大友義長、大内義興. 開山:仏恵大円国師 東渓宗牧禅師(とうけいそうぼくぜんじ). 山門 ...
ウェブ2008年3月16日 · 漂泊の歌人谷宗牧(たにそうぼく・?~1545)は、戦国時代の連歌師です。京に活動の拠点を置きながら、しばしば諸国を旅して京の文化と和歌を伝えました。最晩年の天文13年(1544)9月から翌年3月にかけて書かれた『東国紀行』は、湯治をかねて京から江戸まで旅をした際のものです。 戦乱の世を旅 ...