Web小侍従 (こじじゅう、生没年不詳: 1121年 (保安2年)頃 - 1202年 (建仁2年)頃)は、 平安時代 後期から 鎌倉時代 にかけての女流 歌人 。. 女房三十六歌仙 の一人。. 石清水八幡宮 護国寺別当光清の娘。. 母は 小大進 [* 1] 。. 太皇太后 藤原多子 の ...
Webこれによって、「待宵の小侍従」と呼ばれることになった。 実定は、この待宵の小侍従を呼び出し、さまざまに物語する。 夜が更けて興が乗ってきた実定は、今様を口ずさむ。 ふるき都を来てみれば 浅茅が原とぞ荒れにける
Web平家物語 - 巻第五・月見 『待宵の小侍従といふ女房も…』 (原文・現代語訳)
Web小侍従. 紀氏。. 石清水八幡別当大僧都光清の娘。. 母は 花園左大臣家小大進 。. 藤原伊実の妻。. 法橋実賢・大宮左衛門佐の母。. 菅原在良 は母方の祖父、 殷富門院大輔 は母方の従妹。. 四十歳頃に夫と死別し、 二条天皇 の下に出仕する。. 永万元年 (1165 ...
Web待宵の小侍従と申す女房も、この御所にぞ候はれける。 そもそもこの女房を待宵と申しける事は、ある時御前より、「待宵、帰る朝、いづれかあはれはまされる」と仰せければ、かの女房、 ♪36. 待つ宵の ふけゆく鐘の 声聞けば. 帰る朝の 鳥はものかは. と申したりけるゆゑにこそ、待宵とは召されけれ。 大将この女房呼び出だし、昔今の物語どもし給ひて …
Web登場人物:徳大寺実定、藤原多子、待宵の小侍従、藤原経尹. また、石清水八幡宮の別当・光清法印の娘で「待宵の小侍従」という女房も、大宮・藤原多子の御所にいました。. そもそもこの女房を「待宵」と呼ぶのは、あるとき、藤原多子の御前で、「待つ ...
Web大宮のもとには、待宵の小侍従という女房がいた。 実定はこの女房も呼び出して、昔語りをし、また感慨を今様に込めて歌ったりした。 大宮のもとを辞した後も、実定は小侍従のことが気にかかり、お供の蔵人を遣わしてねぎらってやったのだった。 ~待宵の小侍従といふ女房も、此御所にぞ候ける。 この女房を待つよひと申しける事は、或時御所にて …
Web`待宵の小侍従という女房も、この御所におられる `この女房を待宵と呼ぶのは、あるとき大宮から `待宵と帰る朝とどちらが哀切か `と尋ねられたとき、女房が `待つ宵のふけゆく鐘の音を聞けば、帰るあしたの鳥など、ものの数ではありません ` `
WebApr 3, 2022 · と詠んだことで「待宵の小侍従」の名を得たこと、また背が低いため「小侍従」と呼ばれた旨が記されている [2] 。. 鴨長明 は、当時人々の評判になっていた女流歌人として、 殷富門院大輔 と小侍従の両名を挙げている。. また、落ち着いた感じの ...
Web小侍従 は、平安時代後期から鎌倉時代にかけての女流歌人。女房三十六歌仙の一人。石清水八幡宮護国寺別当光清の娘。母は小大進。太皇太后藤原多子の女房として出仕したため太皇太后宮小侍従あるいは大宮小侍従と呼ばれ