Switch to Bing in English
Copilot
あなたの日常的な AI アシスタント
約 65,100 件の結果
  1. 辞書

    宗長
    [そうちょう]
    定義
    1. 14481532室町後期の連歌師。別号,宗歓・長阿・柴屋軒さいおくけん。駿河の人。宗祇そうぎの高弟。公武に親交多く,広く遍歴。著「水無瀬三吟百韻」「宗祇終焉記」など。
    最近の検索内容
    検索した語句がここに表示されます
  2. さらに表示:
    さらに表示:
    Wikipedia ですべてを見てください
    さらに表示:

    宗長 - Wikipedia

    宗長(そうちょう、文安5年(1448年) - 天文元年3月6日(1532年4月11日))は、室町時代後期の連歌師である。号は柴屋軒。 文安5年(1448年)、駿河国島田郷(東海道島田宿)(現・静岡県島田市)で生まれた 。「宗長居士伝」(寛文8年)は、宗長の父を「鍛冶義助」とするが、島田の刀工に宗長(むねなが)がお … 詳細

    • 『水無瀬三吟百韻』宗祇, 肖柏, 宗長著 日本古典文学刊行会 1974
    • 『宗長駿河日記 林家本』鵜沢覚編 古典文庫 1975
    • 『宗長日記』島津忠夫校注 岩波文庫 1975 詳細

    • Song in an Age of Discord : ’The Journal of Socho’ and Poetic Life in Late Medieval Japan H. Mack Horton.Stanford University Press, c2002.
    • The Journal … 詳細

    CC-BY-SA ライセンスに準拠した Wikipedia テキスト
    フィードバック
    ありがとうございました!詳細をお聞かせください
  3. 連歌師宗長 - VERITAS

    ウェブ連歌師宗長は文安五年(1448)の誕生である。. 静岡県島田市の鍛冶職の家に生まれたという。. 「下職の者の子ながら、十八にて法師になる」(宇津山記). 十八歳で宗長は駿河守護の今川義忠に仕えた。. (右は義忠の木像である). 文正元年(1466)秋、都 ...

  4. 宗長(ソウチョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

  5. 連歌師とは何者?連歌会とはどんな場?戦国時代の不 …

    ウェブ2019年12月19日 · 宗祇の弟子である柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)や、その弟子である谷宋牧(たにそうぼく)、先ほどから名前が出ている戦国時代末期まで活躍する里村紹巴(さとむらじょうは)など、多くの連歌師が各地で求められた。中には有力

  6. 宗長 - Wikiwand

  7. 他の人はこちらも質問
    平安時代に発生し、はじめは、二人の唱和で一首とする「短連歌 (たんれんが) 」であったが、中世以降、二人以上(時には一人)で、五七五と七七の句を交互に長く続ける「長連歌」(「鎖連歌 (くさりれんが) 」とも)が発達し、室町時代に最も盛んに行われた。 訳 何阿弥陀仏とかいう、 連歌 をやっていた法師で、行願寺のあたりにいた者が、聞いて。 「連歌」の種類と歴史 長連歌には、歌仙(三十六句)・五十韻 (いん) ・百韻・千句・万句などの形式があり、第一句を発句 (ほっく) 、第二句を脇 (わき) の句、最後の句を挙句 (あげく) という。
    連歌はこうした心的過程のおもしろさを味わうことを目的とした文芸であって、懐紙に書き留められたものは、こうした詩的体験の軌跡を示すものにすぎないのである。 前句と付句の連接の仕方には、素材やことばの縁を手掛りにして付けるものから、イメージとイメージとを交響させる、きわめて高度の付合(つけあい)に至るまで、各種の付け方があり、一巻全体の展開のさせ方にも、芸術的な感興を高める諸種の行様(ゆきよう)があった。 それらはすべて、一巻に用いる素材の出度数や間隔や連接の仕方を規定した連歌式目(しきもく)の示すところに則(のっと)ることによって、美的効果を発揮することができたのである。
    短連歌は、五七五の前句に別の作者が七七の句を付けるか、あるいは、七七の前句に五七五の句を付けて完結させるもので、『八雲御抄(やくもみしょう)』では、こうした形式のものを一句(いっく)連歌とよんでいる。 両人による唱和の詩というべきものであるが、一首の和歌を2人で合作するという意識で詠まれたものもある。 それに対して、長連歌は、五七五の句に七七の句を付け、それにさらに五七五の句を付けるというふうにして、長句と短句を交互に付けて一定数に至るもので、院政時代には鎖(くさり)連歌とよばれ、鎌倉時代以後は百韻(100句)が定型とされた。 この百韻十巻を千句、千句十巻を万句といった。 また、百韻に満たない、五十韻、世吉(よよし)(44句)、歌仙(かせん)(36句)などの形式の連歌もときおり行われていた。
    連歌 (れんが)は、 日本 の古来に普及した伝統的な詩形の一種。 5・7・5の発句と7・7の脇句の,長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく。 奈良時代 に原型ができ、平安時代半ばに長短2句を唱和する短連歌が流行して、やがて連ねて長く読まれる長連歌になり、 鎌倉時代 初期に50、100、120句と連ね、同後期に100句を基本型とする形式の百韻が主流となる。 南北朝時代 から 室町時代 にかけて大成されたが、戦国時代末に衰えた。 多人数による連作形式を取りつつも、厳密な ルール (式目)を基にして全体的な構造を持つ。 百韻を単位として千句、万句形式や五十韻、歌仙(36句)形式もある。 和歌 の強い影響の下に成立し、後に 俳諧の連歌 や 発句 ( 俳句 )がここから派生している。
    ja.wikipedia.org
  8. 柴屋軒宗長という室町時代の連歌師の略歴を知りたい。名前の ...

  9. 連歌 - Wikipedia

  10. 連歌データベース - NICHIBUN

  11. 連歌データベース - NICHIBUN

  12. 一部の検索結果が削除されました
このサイトを利用すると、分析、カスタマイズされたコンテンツ、広告に Cookie を使用することに同意したことになります。サード パーティの Cookie に関する詳細情報|Microsoft のプライバシー ポリシー