ウェブ甲斐国志 (かいこくし)は、 江戸時代 の 地誌 。 文化 11年( 1814年 )に成立。 甲斐国 ( 山梨県 )に関する総合的な地誌で、全124巻。 編者は 甲府勤番 の 松平定能 (伊予守)。 1914年 ( 大正 4年)に 若尾謹之助 により編纂か企図された民間の修史事業である『 山梨県志 』や、平成期の『 山梨県史 』など近代に行われた編纂事業の先駆で …
ウェブ甲斐国 (かいのくに)は、かつて 日本 の地方行政区分だった 令制国 の一つ。 東海道 に属し、現在の 山梨県 に相当する。 「甲斐」の名称と由来. 甲斐銚子塚古墳. 酒折宮. 7世紀 に成立した。 律令制 下では東海道に属し、 駿河国 から甲斐国に通じる支線があった。 国名の語源は不明であるが、 本居宣長 は『 古事記伝 』において、甲斐国出身の門 …
ウェブ甲斐国志は甲府勤番が主体となり編纂され最終的に幕府に 献本 されたが、私選の総合地誌として地域の長百姓が編纂委員として登用され、自由な執筆態度で編纂された。 甲斐国志の「志」は 紀伝体 の 歴史書 における項目名を意味し [3] 、主に社会地理、制度、文化などが著述された総合地誌となった。 その後、「山梨県志」の編纂まで大規模な …
ウェブ甲斐志料集成の発刊 昭和7年3月に甲斐志料刊行会 [1] を発会し、容易に得られない古文書や未刊史料を中心に山梨県に関する史料、文献を総合集成した全十二巻の「甲斐志料集成」を昭和7年10月5日から昭和10年9月にかけて発刊した。
ウェブ甲斐路 (かいじ)は、 律令制 下における 古代官道 。 東海道 の 支路 で、東海道から分岐し富士北麓を経て 御坂峠 を越えて 甲府盆地 に入り、甲斐国府に至る。 別称は御坂路(みさか-)。 古代の甲斐路と道筋・宿駅. 御坂峠から望む 河口湖 と 富士山. 河口湖. 『 延喜式 』兵部省諸国駅伝馬条 [1] によれば、 甲斐国 と都をつなぐ官道を「甲斐路」 …
ウェブ本尊は 薬師如来 。 奈良時代 に 聖武天皇 の詔により日本各地に建立された 国分寺 のうち、 甲斐国 国分寺の後継寺院にあたる。 本項では現寺院とともに、創建当時の史跡である 甲斐国分寺跡 ・ 甲斐国分尼寺跡 (ともに国の史跡)についても解説する。 概要. 甲府盆地 東方、金川右岸の扇状地に鎮座する。 旧国分寺は10世紀末から11世紀頃に宅地 …
ウェブ島崎城(しまざきじょう、しまさきじょう)は、甲斐国 北巨摩郡大豆生田村(山梨県 北杜市須玉町大豆生田)にあった戦国時代の日本の城。城郭形式は平城。一般的には大豆生田砦(まみょうだとりで)という名で知られる。
ウェブ2020年06月12日. 武川衆について 『甲斐国志』「巻之百十三」 カテゴリ: 武川衆資料室. Ø 武川衆について 『甲斐国志』「巻之百十三」 従五位下伊予守 松平定能編輯(一部加筆) Ø 士庶部第十二 巨麻郡武川筋. 当筋に係所の甘利荘は一条氏兼領の地にて今も上条、下条を村名とする氏族多し、一条、甘利二氏の事は人物部に委しければ此に略 …
ウェブ2016年7月13日 · 『 甲斐国志 』(以下『国志』)国法之部に拠れば、甲斐四郡のうち 都留郡 を除く 山梨郡 、 八代郡 、 巨摩郡 の国中三郡で通用していた独自の制度。 大小切税法、 甲州金 とともに 甲州三法 と呼ばれ、戦国期の 武田氏 時代の遺制であるとする伝承を持つ。 通称は国枡で、別称に大桝、信玄枡とも呼称される。 甲州枡は武田氏時 …
ウェブ法量 (横:mm) 190. 備考. ・頁数59帖 ・題箋「勝山古記 全」 ・「清水氏蔵」朱印。. ・前書に、「源朝臣定能」 (「甲斐国志」を編纂した松平定能)が、「都留郡勝山記」を書写したことが記されている。. 資料群名. 堀内亨氏収集資料. [72] 甲斐国志 - Wikipedia, 令和 ...